例えば、釈迦の仏教でいう「出家」。
お寺に行き、髪を剃り、お経を唱え・・・
それらは確かに出家の中の「行為」の一部でありますが
本来の意味するところは、また別のところにあると思っています。
カースト制を余儀なくなれていた古代インドの人々の中に、
「支配するとかされるとか、そんなんじゃない人生の方がよいのでは?」
と経済的には裕福な家庭環境を飛び出した1人の少年。
のちに「目覚めた人=ブッダ」と呼ばれるその人の心は
「既存の枠・常識から脱すること」
があったはずです。
その先に、お経を唱え、修行をするなどの行為がついてくるのですが
あくまでそれらは後からついてきたもので。
そしてその「既存の枠」から脱した一番先に、
「涅槃」、つまり輪廻転生からも脱する極地があるとされています。
*涅槃(ねはん)・・・煩悩を滅尽して悟りの智慧( 菩提)を完成した境地のこと。生死を超えた悟りの世界。
とても簡単に書くと、
「もー! いろいろうっとおしいねん! もっと自由に生きようや、みんな!」
という気持ちの表れが、出家や修行という行為に表れているのだと思います。
逆にいうと、出家や修行などは
「自由を求める時間」
と言い換えることもできますね。
今度は、「革命」について。
Revolution.
辞書を調べると、「王朝が古きから新きに変わること」という意味の他に、
「被支配者層が支配層を倒し、彼らが政治的権力を握って、国家や社会組織の根本を変えること」
とあります。
まさに「不自由から自由へ!」という流れですね。
ヨガも、世の中には色々あるみたいで。
「ヨガはひとりで自分に没頭するものだ」
「ヨガこそ仲間と一緒の時間を過ごすものだ」
「膝の角度は90度で、目線は・・・」
「まずは合掌から。そして・・・」
「もっと腕をまっすぐ。もっと、もっとよ!」
「ひらすら呼吸に意識を・・・」
これはいつもレッスン生のみなさんにお伝えしているのだけれど、
ヨガの動きの基本とされる太陽礼拝ができたとされるのは1910年頃。
「動くヨガ」の歴史はその頃から始まっていて、
その前まではヤマ・ニヤマ(生き方の制御、みたいなもの)の実践を経た者だけが
アサナ(当時は座位が中心。代表例がパドマアサナなど)を取り組めたのだけれど、
その1910年頃を境に、
「みんな、もうちょっと気軽に体を動かして、健康になろうね!」
という流れができた。
逆にいうと、「動くヨガ」の歴史は2019年現在、およそ100年しか経ってない。
いま、色々とみんなで主張していることも、
例えば1800年代のヨギー達からしたら、
「へ? あんたら何言っちゃってんの?」
ってなることばかりなはず。
でも、こうやって変わってきた歴史の中に、
「もっと自由に!」
という気持ちがあったからこそ、色々な流れができてきたのだと思っています。
もっと、自由であっていいと思う。
そしてその自由を求める時間こそ、ヨガにも存在している。
自由な分、リスクや責任は自分で負うことになるけれど、
でも出家だって革命だって、自由を求めた結果、何かの行為を起してきた。
そして自由はいつだって、
既存の枠や常識とされることから逸脱していくこと。
「これはね、一般的には・・・」
「常識的に考えるとさ・・・」
「うちの会社のしきたりでは・・・」
そんなことも大事だけれど、あなたの自由も大事でしょ?
自由に生きるために、
見て、考えて、実践して。
あなたの自由は、あなただけのもの。
頑張りすぎると息が詰まるから、
だから呼吸をゆっくり、深く。
色々な枠やしがらみがあって、
そこに縛られてしまいがちな世の中だけれど。
でも、
あなたの体を通して感じた「気持ち良さ」こそ
自由の証なのだと。
今日もあなたの心と体が、
少しでも気持ち良くありますように。
keep breathing & peace, peace, peace ・・・
ふちえ